愚行錯誤その3(後悔した映画を公開する集まり)
映画表現の醍醐味
さて、前々回ご紹介した「讃岐お察し会」でのこと。映画表現の特徴についてお話ししたことなのですが、映画、今の動画も含めて、特徴の一つは、他の表現とか芸術は、一応、観客に見せたいという演者や製作者の意図はあるけれども、視聴者の視線誘導や印象誘導は、間接的にしかできません。それに対して、映画、そして動画は、編集という行程を作品制作に含むので直接視線誘導や印象誘導を作品の中に埋め込むことができるわけです。わかりやすく言えば、映画は、「見せ場」を編集して表現することができるのです。更にアニメーションになると、基本的に被写体のあるカメラ撮影と違って、そもそもが画面上の中にあるものはすべて制作者の意図として表現して描かれるので、編集すらないことになります。この点が魅力でもあり、ある種表現の限界でもあるかもしれなせん。
という話をしたうえでですが、毎週毎週日曜日に去るところで、自分が見て後悔した映画、がっかりした映画を、共有し合うという集まりに参加しております。これ、あまり皆様には共感いただけないかもしれませんが、自分が見て後悔した映画をしかも劇場でお金払ってみた映画であればなおのこと、私はなんとか言語化して納得したくなるんです。おそらくその集まりの他の方も気持ちが同じで、毎回毎回これでもかこれでもかという、後悔する映画の「秀作」が紹介されます。
なんでこんなものを…という今までの過去お話で出た5作品、以下に書いてみます。皆様も是非ご覧あれ。ちなみに私は以下の作品のうち、一作を除きすべて劇場で見て、うなだれて映画館を出る群衆を目の当たりにしたものです。その群衆の一人として。ではみなさまも後悔した映画あったら、作品をおしえてください。
いやーそれにしても、どうやったらこういう作品が、、、いや、編集された「見せ場」は何だったのか、ミステリアスな謎解きにいざなう作品、つまり「いい作品」ばかりです。
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